第12回:齋藤 孝氏(教育学者・明治大学文学部教授)

インタビュー連載 若者の未来

受験や就職を控えた子を持つ親の世代には、学生時代に太宰治や三島由紀夫といった文学作品に触れた人も多いだろう。70年代後半から「ニューアカデミズム」という現代思想のブームもあり、当時の若者たちは本について語り合うことで、自身の考えを深めてきた。今、こうした読書文化は失われつつある。国語教育の重要さを説く明治大学文学部教授・齋藤孝氏に「読書することの意味」を伺った。

PROFILE

齋藤 孝(さいとう たかし)/1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、同大学院教育学研究博士課程を経て、明治大学文学部教授。専門は教育論、身体論、コミュニケーション論。私塾斎藤メソッド主宰。『身体感覚を取り戻す』で新潮学芸賞を受賞。『声に出して読みたい日本語』が150万部を超えるベストセラーとなり毎日出版文化賞特別賞受賞。『理想の国語教科書』、『教育力』、『座右のゲーテ』、『日本を教育した人々』など著書多数。

齋藤孝ホームページ

日本人は日本語で思考し、行動する。国語能力のアップが現代人の課題

●高度刺激社会を生きる若者たち

 精力的に教育論・身体論・ビジネス論を展開する明治大学文学部教授・齋藤孝氏は、年間数十冊という驚異的なスピードで著書を上梓し続けている。その基盤としてあるのが、母国語である国語教育と読書文化の重要性を説くこと。150万部を超えるベストセラーとなった『声に出して読みたい日本語』では、リズム感や情感に優れた“最高級の日本語”を繰り返し声に出して読み、身体に馴染ませることを薦め、国語教育と身体論をリンクさせた。

 目まぐるしく変化する社会状況に対し、教育学者の視点から齋藤氏はこの他にもさまざまな提言をしている。2008年の著書『退屈力』(文春新書)では、インターネットをはじめ、テレビやゲームで簡単に退屈を紛らわせることができる現代の状況を「高度刺激社会」と名付けた。退屈を刺激で紛らわせるのではなく、向上心を持って学ぶ時間にするべきだと齋藤氏は提言している。

 日々、大学の教壇に立つ齋藤氏は、現代の学生に対し、「全体的に幼くなっているような印象がある」と言う。そうした印象は多くの人が同様に感じているのではないだろうか。若者だけの問題ではない。大人と呼ばれる年代の人にも同様の傾向がある。これまでの社会では日常生活で普通に成長していた部分が、今は簡単に得られる刺激によって阻害され、成長しづらくなっているのだ。

「高校生のように大学の授業にもきちんと出席し、全体的にまじめな印象です。私が学生だった頃は、朝まで飲んで一晩語り明かす、ということが下宿生活で日常的にありました。一緒に授業をサボって麻雀を夜通しやったりすると、濃密な関係ができます。今の学生は、そうした濃密な人間関係を避ける傾向があります。授業が終わったらすぐにアルバイトに行き、家に帰ってSNS(※ソーシャル・ネットワーキング・サービス)をやるという生活パターンになっているようです」

 大学の対応も担任制をとり、出席をとるなど高校のようになってきている。社会からのクレームにより、大学が学生を管理することを求められるようになってきた。これまでの日本の大学が自由すぎた、という面もたしかにある。本来、大学とは学問を学ぶ場なのだ。しかし、学生がまじめに授業に出席しているように見えても、学問を学ぶという意欲については疑問が残ってしまう。

●学問によって、人生の土台を作る

 

 17歳の頃、齋藤氏は受験勉強の合間に多くの本を読んだ。時間がまだゆっくり流れていた時代、齋藤氏は将来を真剣に考え、本の中にそのヒントを探した。

「高校1年生はまだ中学生の延長みたいなもので、部活をやったり呑気に過ごしています。高校2年生の3学期になると受験がのしかかってきて、ちょっとうっとうしさを感じだしてくる。私はこの時期から文学を読み耽ってしまったんです。受験勉強にとっては、たしかに足かせのようになったかもしれません。しかし、生き方を決めないと学部が選べない、というジレンマに私は陥ってしまいました。17〜20歳くらいは、自分というものを職業から考えません。だけど、どうやって生きるんだろうと考える。受験の前後というのは、人生を考えるにはとてもいい時期なんです。そして、大学のどの学部に行くかということは、どんな職業に就くか、ということにつながるのです」

 文学は人にさまざまな生き方や人間性を見せてくれる。あらゆる可能性を模索する青春の一時期に文学を読むことは、「遠まわりでしたが、良い経験だった」と齋藤氏は振り返る。しかし、文部科学省文化審議会国語文科会で齋藤氏が委員を務めたところ、文学の存在価値をあまり認めていない委員も少なくなかったという。そうした人たちは、「論理力が国語教育に重要だ」と考えているのだ。それに対し、齋藤氏は「国語教育とは“人間理解力”を培う教科」として異を唱えた。

「論理的というのは、明晰な直感や認識によって物事の筋が見えてから、秩序立てていくものです。筋が通らない認識で論理を立てようとしても理屈になってしまいます。まず、洞察力が大切です。その根本には、人の気持ちがわかる、という人間理解力があります。この能力を鍛えることが優先される事項なのです」

 人間理解力が欠けていると、職場に苦手な人がいたとき、「嫌な人だ……」で終わってしまいかねない。逆に、人間理解力があれば、人には競争心や嫉妬心やコンプレックスといったさまざまな感情があることがわかり、対処法が見つかる。理解ができれば愛情もわく。「世の中が殺伐としてしまったのも、若者たちが仕事をすぐに辞めてしまうのも、相手に対する人間理解力が足りないからでしょう」と齋藤氏は指摘するのだ。

 大学4年間は腰を落ち着けて読書をするには最適な期間。本来ならば、この時期に人間理解力を十分に培っておきたい。しかし、現状では、「3年次の半ばから就職活動に追われ、就職が決まった4年次は気が抜けたようになって過ごす学生が多い」と齋藤氏は言う。

「20代で学ばなかったことを40、50代から学びはじめることはあまりありません。砂場で山を作るとします。土台を大きく作らなければ、富士山のような高い山は作れない。土台の大きさで、必然的に山の高さが決まるのです。だからこそ、学生時代に土台をしっかりと大きく作らなければいけない。それが学問であり、大学の役割だと考えています。大学というところは、その後の人生の思考力の深さを決めるところなんです」

文学作品には現実社会を生きるための数多くのヒントが溢れている


●豊かな会話を楽しむための訓練

 

“思考力の深さ”とは、知識量だけの問題ではない。「概念的な思考ができること」と齋藤氏は言う。大学こそが、この思考力を鍛える場なのだ。

「たとえば、中島敦の『山月記』では、『卑小なる自尊心』という言い回しが出てきます。そういう作品に出会うと、自分の自尊心というものも、人前にさらされて比べられることを怖がっている卑小なるものなんじゃないか、と自分自身を振り返ることになります。フロイトのエディプス・コンプレックスも理解しておくと、自分自身の日常的な思考を振り返り、発展させてくれる原動力になる。そうした考え方が概念的思考なのです」

 この「概念化する」という作業が自分の中で自然とできるようになれば、実社会においても明晰な思考と判断が可能になる。

「地道に物事を続けたり、整理する能力というのも大事なことですが、私たちは言葉で考えますので、まず、言葉を操れるようになることです。学ぶことの本来の意味は、そこにあると思っています」

 同時に言葉はコミュニケーションの手段だ。自分の意思を明確に伝えるにも、人と濃密な関係を築くにも、言葉を駆使し、会話を重ねていかなければならない。そして、この世界のさまざまな事象を概念化し、自分なりに捉え、未来を考えている人との会話は何よりも楽しいものだ。「濃密な人間関係を避ける」という傾向は、「濃密な会話を楽しめなくなった」と言えなくはないだろうか。

「それぞれの人に、これまで生きてきた人生の意味が堆積しています。会話というのは、それぞれの人の人生の経験値が集う場です。相手の言葉の一つ一つから、おそらくその人が体験してきたであろうことを推測し、そこから何が生み出せるか、という意識で言葉を出していく。これは、とても高度なことです。世間話にしても、小学生と80代の方では話題も違えば、言葉の意味も違ってきます。老若男女、あらゆる状況において瞬時に言葉を選び、話題をふることができる人は、社会性がある人です。そうした言葉のセンスは、本をたくさん読むことで得られるものだと思います」


●視点を移動させて考えてみること

 

 昔と比べ、さまざまな人と出会う機会も増えた。より一層、高度な洞察力(人間理解力)が求められる時代になったにもかかわらず、「もっともこの能力が落ちている」と齋藤氏は感じている。

「毎年、ドストエフスキーの『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』を学生と読んでいます。文学というのは、現実の人間をそのまま描くのではなく、リアリティを拡大して見せてくれるものです。そうした極端な人間を理解することによって、現実の人間が見えやすくなるのです。スポーツと同じようにその能力にも人によって上手い下手があることを多くの教育者は理解していません。人間理解力を上げることを目的として、授業をすることが求められます」

 そのためには、教える側の人間理解力がより一層求められてくる。それを日々鍛練していく意識を教育者が持つことが大切なのだ。

「人は安定しきっている人にはひかれないものです。教える側の向上心が減速していると、子どもたちにもその態度が伝わってしまいます。数学でも英語でも去年よりも今年の方が実力がアップし、向上心が加速し続けていること。これを“憧れの矢”と呼んでいます。教える側も勉強している。だから一緒にやろう、という勢いに子どもたちは反応するのです」

 この向上心は「培っていかなければ身につかないもの」と齋藤氏は言う。その際、「本を読む」ということが、向上心の一つの指標となる。

「向上心のある人は、本を読む習慣を持つ人が多い。本を読む習慣のない人は現状維持でいいと考える人が多いようです。毎日ランニングをして体力を維持するのと同じように、毎日、本を読むという行為は、向上心を“技化”することです。さらに、本で読んだことをコミュニケーションや物事の解決など、現実に連動させて使っていくと、とてもいい鍛練になります」

 その際、気をつけなければいけないことは、頭を柔軟にすること。本で得た知識にとらわれすぎ、頭が固くなってしまってはかえって人間理解力を妨げる。

「人間理解力とは、視点が移動できるということです。ある問題に対して、違う角度から考えてみると抜け道があるんじゃないか、とアイデアが使えることが頭の良さなんです。学問とは、いろんなことをヒントにしながら、視点を移動させ、本質を捉えていくという訓練でもあるのです」

 進路相談においても教師や保護者が子どもの気持ちに視点を移動させて考えることが求められる。具体的には、生徒一人ひとりの将来に必要なことを瞬時に洞察しながら、課題を紙に書き出すなどしてさまざまな可能性を検討し、一緒に進路を考えていくことだ。

「相手の言葉に対して、さまざまな案を出しながら対話をすることは、弁証法的な構造と同じです。こうした、共に何かを見出す、という対話法を進路相談でもとり入れるといいでしょう」


未来へのKeyWord:(1)明晰に考えるために国語力を鍛練 (2)人間理解力を文学で培う (3)向上心を“技化”して保ち続ける (4)視点を移動させて物事を考える


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